JMS社長・中村剛久プロフィール

私が起業したきっかけ

高校卒業時、大学進学や専門学校進学の道もありましたが、高校2年の夏休み直前に、
女手ひとりで私を育ててくれた母親が、突然、くも膜下出血で倒れ、高2の夏休みは、
毎日病院 に通い、2学期の最初の何日かは、病院に寝泊まりして学校へ通いました。
その甲斐あってか、母は奇跡的に回復し、後に社会復帰を果たす事となりましたが、
さすがにその母親の事もあり、決して裕福と言えない家庭でしたので、就職することを
決意しました。

この頃、実は見た目からはあまり想像されませんが、ひとつ目標と言うか夢がありました。
ボクシングでプロになる事。しかも、世界チャンピオンに本気でなりたいと思ってました。
が・・・、母親の事もあり、そのまま某大手企業に就職、平凡な18歳を半年程過ごしたあたりで、
何か違うと感じ始めたのです。

そこから一念発起し、鈍った体を鍛えるべく、毎朝4:50に起床し、ロードワークや筋トレを自主的に開始。 更に近視が進んでいた為、会社に内緒で夜に居酒屋でアルバイトしお金を貯めて、
ひょっとしたら当時、静岡県内では一番最初かもしれませんが、東京にて近視矯正手術を行いました。そして高卒後で就職してから、2年1ヶ月後に退職という暴挙に出たのです。在職中、
途中から、既にジムに通っていましたが、職場からジムまでは1時間はかかりましたので、
残業があると時間が取れず、後悔したく無かったので、ボクシングを選択しました。

退職後、すぐにアルバイトを探しました。
意外と うまくなじめなかったり、当初、仕事もままならない状況もありましたが、
2番目の某アルバイト先で、社長の運転手のような仕事をいつの間にかやるはめになり、
社長について商談というものを始めて経験したのです。というのも、高卒後就職した某大手企業では、工場での製造業務を行なっていましたので。。。ちなみに、ここの社長は、プロレス好きで格闘技全般も好きな社長でした。求人募集の応募の最初の電話で、今、何かやっているのか?という事を聞かれて、『ボクシングです』と答えたら、 電話だけで面接不要でなぜか採用になりました(笑)

その後、ボクシングにかなり情熱を傾けましたが、またここで神様にいたずらされたのか?途中、母親が違う病気で何度か手術や入退院を繰り替えす事が多くなり、ついには私自身も怪我をしてしまい、しばらくブランクを作ってしまう時期がありました。
数ヶ月が経ち、復帰した初日に、軽いスパーリングを行ったのですが、今まで見えていた相手の動きが見えず、まったく、動きについていけなかったのです。 もちろんブランクの影響も大きかったのですが、実は、この時の相手が、後の日本チャンピオンです。
当時は、ただの練習生でしたが、明らかに動きが違いました。。。この時のショックと自分を取り巻く様々な要因もあり、結局ボクシングジムを後にする事になったのです。

ボクシングを離れて、何もやる事が無い自分がそこにいました。
本当にどうしようもない状態だったと思います。
ある意味、かっこつけて会社まで辞めたのに・・・。
ある日、ふと社長の運転手時代に何か芽生えていたものがあったのか?
唐突でしたが社長業に興味というか、関心が強くなり、日に日にその気持ちが抑えられなくなったのを、今でも鮮明に覚えています。

と言うものの、この時22歳11ケ月、何をしたいのか?何をすれば良いのかも明確では無かったと思います。
ただ、サラリーマンには戻れないと勝手に考えていたのかもしれません。
当時は、インターネットなどありませんでしたから、ビジネス情報誌などで、 情報を収集しながら、
無謀にも第一歩を踏み出すことを決意してしまったのです!
恐らく、ご存知無い方ばかりだと思いますが、電話番号切替装置で『ダイヤルイン装置』という
ものが、当時存在しておりまして、なぜか?私的に魅力的な商品として目に移り、
しかもFC加盟では有りましたが、起業家としての第一歩を踏み出しました。

起業して現在に至るまで

起業したのはいいのですが、またこれが売れない。。。
当時は本当に何も知らない事ばかりで、何をやれば良いのかもわかりませんでした。。。
実際、この商品は一般向けには販売が難しく、 数ヶ月ほぼ売上0だったと思います。
知人の反応から、ちょっとしたマニア向けに反応が良かった為、ある広告媒体に通販という形で安い広告を出稿してみたところ、全国のお客様から、ご注文を頂くようになったのです。
初めて、顔も見えないお客様に電話の受注で販売した時の感動も忘れられません。
その後、同じような販売手法を繰り返しつつも、あるとき企業秘密ではありますが、当時画期的な販売手法を思いつき実践した結果、FC全国NO1の売上実績を叩き出すことに成功し、
運命が変わり始めました!!

時を同じくして、世の中では0円携帯が普及しだしておりました。
通信機器を扱っていた関係から、少しずつ増えつつあった仕事の人脈から、携帯電話の販売の話があり、携帯電話業界にも参入することになりました。
最終的に、携帯電話ショップを2店舗経営させて頂く事になり、実は中村さん=携帯電話屋さんのイメージを持たれている方も多いと思います。
ちなみに、携帯電話実務者検定という試験がありますが、第1回目の試験に合格し、いわゆる【携帯ソムリエ】としての肩書きもあります。

ここまでは、主にBtoC(パーソナルユーザー)向けの商売をさせて頂いておりましたが、
携帯電話の仕入先の関連会社の社長から、リサイクルトナービジネスの事を教えてもらい、
大変興味を持ちました。
と言うのも、起業当初の経験を生かして、徹底的にリサイクルトナーの事や業界の事をリサーチして、この商品は法人のお客様に、ご提案方法を間違わなければ、大きなメリットになり、価値のある情報提供ができると確信したからです。
しかも当時は、私がそうであったように、まだリサイクルトナーの認知度も低く、純正品を定価で購入されている方も多かった時代です。

販売開始当初は、なかなか販売実績が上がらなかったものの、1年も経過しますとようやく販売のコツも掴め、仕入先様の強化・販売店様の構築も行い、多くの方との出会いも作らせて頂くようになりました。
現在、関連商材含めて、取扱サービスも多種多様となってまいりましたが、お客様視点に立った目線で、価値あるご提案を心がけております。今だからこそ、強く言い切れることがあります。
何より、多くの方とのご縁を頂き、この出逢いこそが、私にとっての最大の財産。
今後は更に今までの経験と多くの方とのご縁を最大の価値に変えて、
世の中に貢献していきたい!
また、お客様、仕入先様と共に、創発的なプロジェクトを多く生み出し、世の中に自分がご提供
できる最大限の価値を提供して参りたいと考えております。
そして、この物語は続きがあります・・・そう!私が生き続ける限り!!

【メディア出演】
2011年8月4日出演。FM島田『g−sky76.5』